豊かな国ほど幸福度が低下する理由
みなさん幸せですか?
私は幸せです。
仕事柄幸福について考えることは多いのですが、先進国では、途上国に比べて精神疾患を抱えた方が増えるという話は以前から聞いていましたが、これが幸福度が落ちる原因なんだろうなと思っており、いろいろと調べていたところ、ついに一つの結論に至りました。
結論としては、精神疾患にかかるリスクが増えることと幸福度が落ちることはほぼイコールで考えられます。
では、なぜ先進国の人たちは幸福度が低下するかについて、私の考えを述べます。
人間に限らず生き物は、常に生き残るために外敵が近づいてきていないか、それ以外にも危険が迫っていないかなど、常に感覚器官を通じて警戒しています。この時に脳内では不安が発生しています。
しかし人間はほかの生き物と比べ、急激に環境を変化させることで、生存率が上がってしまいました。
基本皆さんは日常の中で死ぬかと思ったことってそれほどないかと思います。(私は一度もありません)
しかし、我々人間も少し前(例えば50年位前)までは大人になる前に死んでしまう子供も結構多くいました。もう少し遡ってみて考えてください。100年くらい遡れば戦争やら病気などでも結構な命が奪われていました。それこそ2人に1人以上が子供ができることなくこの世を去っていた時代です。
わずか100年の間に先進国ではほとんど死ぬことがなくなりました。
その結果脳内では根拠のない不安(危険がないかセンサーが働いている状態)が出続けてしまいます。この不安に対応した行動がとれないと幸福度が上がらないのです。
これだけ聞くと、ではなぜブータンなどの国ではこの不安センサーが誤作動しないのかという疑問が出てくるかと思います。
実はこの不安センサーというのが曲者で、一言でいうことができないのですが、「一生懸命、がむしゃら、無我夢中」などと言い表せるような生き方をしていると、不安が出なくなるのです。
例えば、仕事を例に考えていきましょう。
先進国ですと、さまざまな仕事があり、憧れの仕事ややりたくない仕事があります。
つまり選択肢がたくさんあり、努力によってその仕事が変わっていきます。
しかし、先進国以外ですと仕事はあまり選択肢がありません。
極端なことを言うと、生きるために今できることがかなり限定されているのです。
そのため迷うことなくその生きるための方法を必死に実践していきます。ここに迷いはありません。
一方先進国では迷いがあり、努力しなければやりたくない仕事をすることになります。
そんなやりたくないという気持ちがある時点で幸福度が落ちます。
そして「やりたくない仕事」=「ストレス」などと勝手に心で不満を増長させて、ストレス発散と言わんばかりに自分の好きなことをします。
この自分の好きなことの中に、インターネット・ゲーム・テレビなど人と接することのないエンターテイメントに入り込んでいくと、これらに依存していきます。また、お金を稼ぐことばかり考えている方も、同じようにお金稼ぎに依存していきます。
結果として、時間の浪費をするばかりで人生を振り返ることもなくより良い人生にすることをしなくなります。そうやって二次的にストレスをためやすい状態にしていきます。
こういった状態にある人たちは、世の中が悪いだとか時代が悪いなど、常に周囲に問題があるかのように考えています。解消されることのない世の中への不満。
しかし一番の問題は、自分自身が抱えている一番の問題が何なのかを考えていないことです。
自分自身が抱えている一番の問題は、どうやって生きていくのか。
そのためにはどうすればいいのか。という2つのことを考えて行動していくことです。
何かをあきらめて生きるということは、幸福ではありません。
ではあきらめたらそれで終わりかといえばそうではありません。
目標を変えればいいのです。
自分がの損だものが全て手に入る人間なんてだれ一人いません。
であれば、自分にできることを探す努力も必要です。
幸福度が低い人間というのは、ほぼイコールで努力をしていないということです。
何もしないということに人間の脳は慣れていないので、これからの時代は益々こういった不幸は大きくなっていきます。
AIが発達すれば人間の仕事(生きていくために必要な活動)を機械が肩代わりしてくれます。
そんな未来を、「機械に仕事を奪われる絶望的な未来」などと悲観する方が多いです。
実際多くの方にとっては今よりも条件の悪い仕事ばかりになってしまうのでしょう。
しかし、その分社会としては生き残りやすい環境に益々なっていきます。
生き残れるということはチャンスがあるということです。
そのチャンスに気付けるかどうかが今後の人間の幸福度に大きく差をつけるものになっていきます。
ポジティブなとらえ方で未来を予想すると。貧富の差はどんどん大きくなっていきます。
しかし、「貧しい」というとらえ方自体がもう古臭くなっていることでしょう。
なぜなら富裕層からしたらたしかに「貧しい」かもしれませんが。それは物質においてです。情報化が進み勉学にはお金があまりかからなくなるのであれば、内面まで貧しくなるわけではありません。
また、物質的に貧しいといっても、今よりも生きていくうえで便利なものに囲まれて生きていくことになります。
つまり、現代人よりも生活水準が上がっていくのです。
「貧しい」の基準はどうしても、現在の富裕層とそれ以外で比較されてしまうから永遠に消えないのですが、過去と比較してみることもだいじかとおもいます。
20年前に生活保護の方がスマートホンを持っていましたか?
富裕層だって持っていませんよね。
生活保護の方でもある意味で20年前の富裕層よりも優れた機器に囲まれて生活しているのです。
このことに気付けば何も不安になることはありません。
むしろどのように幸せになっていくかを考えていく余裕すらあるのです。
産業は生きていくために必要なもの(衣食住にかかわるもの)を作る割合が減り、人が楽しく生きるための産業が増えます。
これからの時代はどんどん新しい楽しみ方を考える時代だと私は予想しています。
これを不幸だと思う人は、どんな世の中でも不幸に生きる定めだと私は考えます。
昔だったら考えられないゲームがスポーツ化し、これを職業として賞金を稼いでいる人だっているのです。
「なんでも真剣にチャレンジしてみること」 が幸せへの第一歩ではないでしょうか。
人間の幸せは、不変だとは思いませんが、時代が変わってもそれほど変わるものではありません。
より多くの方が、このことに気付いて幸せを追求していただけたら幸いです。