障害福祉の底辺でおきる差別

昨日移動支援の依頼がりました。

内容は、4月から小学校一年生になる子を自宅から一般の小学校に連れて行くというもの。

私の事業所で働いている精神疾患の方を紹介したところ、会うことも無く断りの電話がありました。

当事者やご家族は、自分たちのことだけで精一杯なのか、周囲のことについて考える力が及ばないことが多くあります。

今回のご家族の対応は、明らかに精神障害者に対する偏見の表れです。

偏見が無ければ、一度顔合わせをして判断したはずだからです。

今後の障害者を取り巻く環境は、AIの進化などもあり、社会進出自体が厳しいものになっていくと私は予想しています。このようなちょっとした立場の違いを理解し合うことが無ければ、精神障害者だけでなく、知的障碍者にとっても辛い状況になっていくのだろうと思いました。

精神障害者の雇用率は、身体障碍者や知的障碍者よりも低いのが現状です。ここが改善されれば、精神障害者が、自力で這い上がることができます。

彼らの雇用が広がり、知的障碍者(その関係者)と精神障害者の偏見が無くなる

ことを切に願います。 


 

ここで話が少しそれますが、私自身は精神障害者を中心に7年間支援してきましたが、精神障害者に対する偏見や差別というのはある程度は肯定的です。というのは、事業を始めた当初は、責任感が強く、認知の歪みによって苦しんでいる生真面目な人たちが多かったのに、今は精神障害者ということで、年金や税金面などいろいろな場面で優遇され、そこに甘えて、自ら望んで精神障害者を続けようと考える方が急速に増えてきているからです。

それはそうですよね、今の世の中は、「弱者が生き易い」ということが合言葉となり、弱いことが許されるかのような認識が広がっています。そこに精神医療が病名をつければ、「できない」「調子が悪い」と言っているだけで、生きていけるのですから。

私としては「生き物の摂理から反していて明らかにおかしい状態」なのにこんな生き方が肯定されているようであれば、いずれ破綻するだろうと予想しています。だからこそ、私が関わる精神障害者には、障害者同士助け合うことや、ノーマライゼーション・自己責任を負うことを伝えています。

 彼らが一人でも多く、自立した一人の人格者として生きていくことができるよう、世の中が変わっていくことを切に願います。