低所得層・中間所得層・高所得層を分ける人間性とはなにか (個人的な意見です)

こんにちは、にあです。

私の本業は、障害福祉です。

そんな私がいつも考えることの一つに、所得層はどのように決まっていくのかということです。

大まかに、私がこのテーマで定義している所得層を分けると

低所得層  800万円未満

中間所得層 800万円から3000万円未満

高所得層 3000万円

 

となります。

低所得層が800万円未満というのは一般からするとかけ離れているように思いますが、一般に、企業が人を雇い入れるときに、能力の高い方でなければ、600万円以下に抑えたいと考えているそうです。そして、能力の高い方は、800万円以上の給与をひとつのラインとして考えているそうです。今は人が不足している時代なので、1000万円超えが当たり前ですが・・・

そして、3000万円以上が高所得者層としている理由は、3000万円以上稼いでいる方は、買い物の時に値段を気にしないという話があり、大きな心理的変化が出るラインが存在するからです。

 

私は、36歳までは低所得層にいました。

しかし、ここ2年間で収入が伸び、1000万円超えをして、中間所得層に入ることが出来ました。

その時に意識したことが、(「めんどくさい」を作らない)ということです。

もともと私がめんどくさがり屋で、掃除や整理整頓が嫌いで、仕事も好き嫌いをはっきりと意識してしまうことが多かったのです。

そこで、めんどくさいと思ったことから片付ける癖をつけました。すると、「ああ、あの仕事がまだ残ってるなぁ」という、足を引っ張るような心理状態が無くなり、常に次にやるべきことに集中できるようになり、仕事の効率事態も上がりました。

言葉にすると簡単ですが、めんどくさがりな人間が、簡単に変わったわけではありません。

一つ一つ行動するにも、ポジティブな理由付けをして、面倒だと感じる仕事から優先して片付けることを一つ一つ繰り返しました。

掃除や片付けもやる曜日を決めて、その時に必ずやるように癖をつけるのに3ヶ月以上かかりました。

こういったことは、初めはコツコツとやっていくしかありませんが、徐々に心が変化していき、いずれ続けることが楽になっていきます。

また、続ける際にもポジティブシンキングで行動理由を正当化していくことを続けていたので、あらゆる領域でポジティブに物事を考えれるようになったことも大きな財産です。

ただ、このポジティブシンキングですが、あくまでも私個人の中でしか作用しないようです。

私だったらこのように考えるというポジティブシンキングを他者にアドバイスすると、拒否反応が出ます。

おそらく、成功体験が少ないために、成功と失敗の間を埋めるものが無いのでしょう。

ある程度成功体験がある方であれば、ポジティブシンキングは可能かと思います。

ここまで行けば、年収1000万円くらいは近いうちに稼げるようになるのではと思います。(私の場合は経営者ということもあり、ダイレクトに結果が出るので、3年で大きな効果が出てきました。)

 

「めんどくさい」をつくらないことで、なんにでもチャレンジできるようになって、中間所得層に入れたら、次に目指すのが、3000万円以上の高所得層です。

私も、高所得層に入るためにいろいろ考えました。

しかし、3000万円というラインは、非常に困難で、限られた方法でなければ、到達できません。(私の経験と頭脳では、片手で数えるほどの数しか、選択肢はありません)

この限られた方法ということが、私に気付きを与えてくれたラッキーな条件でした。

 

方法がいくつもあったら、あなたならどのように選択しますか?

普通なら、得意なことを選択しようとしますよね。

でも、そういった選択が、だめだと気が付いたのです。

自分が得意なことを選択すると、結局そこで行き詰ったときに、別の方法を試さなければなりません。

その場合の多くが、自分が今まで避けてきたことであることが多いのです。

それはそうですよね。

自分が苦手と思っていことは、他の人にとっても苦手なことは多いと思います。

みんなが避けるようなことは、結果も出やすいですから、その領域で努力を重ねたほうが、大きな結果が出やすいのは当たり前です。

結局、何事からも逃げない、立ち向かう思考が必要だったということです。

こう考えたときに、私が選んだ方法が、アフィリエイトでした。

少し話が逸れますが、私にとって、アフィリエイトを選択するということが、意外な選択だということを説明いたします。

私の本業は、障害福祉です。

その中でも精神障害の方を支援することが多く、精神障害の方の多く(今では、知的障害の方でも多いのですが)が、処方薬以外にも、スマホ依存をしていることが多く、こういった処方薬やスマホは、孤立した精神構造をしている人間にとってはとても便利なものです。

前回のブログに乗せた通り、過剰に便利なものは、性格を自己中心的(わがまま)にしてしまうため、自分の欲求のコントロールがし難い状態になっていきます。そうすると必然的に、低所得化するのは容易に想像できるかと思います。

本業でこういった現代の問題に気付いている私にとって、情報機器を扱う領域の仕事というのは非常に抵抗がありました。

現に私は、ここ最近まで、ガラケータブレットしか所有しておらず、あえてスマホを避けてきました。

そういった人間が、あえてスマホを所有して、Wi-Fiでパソコンからブログを書くということは、ここ数年を否定するような気持にもなりました。

でも、リスクが低く、いつでもできる利便性を備えているのはアフィリエイトだけだったのです。

実際ブログから初めて1月が過ぎて思うことは、やはりそんな簡単に収入にはつながらないということです。

SEOやプログラム言語の勉強などもして、今後のIT機器がどのようになっていくかなども、興味を持つようにもしていますが、勉強すればするほど、自分のセンスの無さや、今までの生き方とは全く違う方法で生きていくことに気付かされます。

よくネット上で、「一日1時間~2時間 月収100万円」とか見ますけど、それはノウハウがあって、情報収集が趣味の一環で行えればの話です。

実際には、情報収集をしないと記事は書けないし、ベースとなる知識が不足しているので、基礎学習だけでも最低数百時間は必要になりそうだと実感しています。

 これを簡単だと言えるブロガーたちは、やっぱり普通ではない才能があるからだと思います。

私の場合は、本業を捨てたくないということから、選択肢が非常に限られて、その制限がかえって自分に気付きを与えてくれたのですけど、私のように、本業が無い方たちは、もう少し選択の幅が広くなるので、そういった方たちには、3000万円を超える収入を得るためには、大きく2つの稼ぎ方があることを、お伝えします。

 

一つは、サラリーマンとしてでも可能な方法です。

世の中にはフルコミッションの仕事がいくつかあります。

フルコミッションの仕事は、完全成果主義なので、当然仕事が出来なければほとんど収入がありません。

だからこそ、普通ではない特別な市場を見つけ、その市場で8割以上のシェアを獲得することが出来れば、他を寄せ付けることなく、独占できます。

私が聞いた話では、生命保険の営業マンが、ファイナンシャルプランナーの講師として、住宅メーカーさんとタッグを組んで、家を売るついでに今後の生活資金計画に生命保険を組み入れて売るやり方があります。

この方法で、全員ではありませんが、一部の方は土日だけの稼働で3000万円以上稼いでいるそうです。

フルコミッションの仕事では、自分だけの市場に気付くことが出来るかどうかが最大のポイントで、それが確立できれば、数年は安泰でしょう。

でも、市場の変化が速い時代なので、何十年とそのやり方が通用するということはまずないでしょう。

こちらの方法は、いくつもの専門的知識は必要としない代わりに、発想力が重要です。

 

もう一つの方法が、会社経営もその一つですが、お金が入ってくる仕組みを作ることです。

アフィリエイト関連のことを勉強していると、必ず出てくるのがマネタイズという言葉です。

これは、会社であれば、仕事の流れを管理して、システム化できれば、数年単位で継続して収入が得られますし、メディアだと、情報の流れを管理することで、継続的に収入を得ることが出来ます。

私の場合は、本業で5年以上マネタイズにチャレンジしましたが、事業規模が小さく、管理者を置くと自分の収入が極端に小さくなってしまうため、事業規模を大きくするか、他で収入を得られるようにすることで、管理者の原資を割くことが出来れば、実現できそうなのですが、まだまだ時間がかかりそうだということで、アフィリエイトであれば、勉強さえすれば、マネタイズが実現可能かと思って今は勉強中という状況です。

マネタイズのシステムを作るための方法は、いくつもの法律的知識や、いくつもの契約をしっかりと理解する管理能力が必要となります。また、独自の発想力も必要です。

 

どちらの方法にしても、時代の流れが速い現代においては、既存の概念にとらわれず、情報の取捨選択を適切に行うことで、流動的に行動することが、結局のところ重要だといえます。

一つのやり方が一生通用する時代ではありませんので、変化を恐れずに今の時代を楽しむ人が、結局は成功していくということがよくわかりました。

今の時代、80年も生きていたら、大きなチャンスは何度もあると思います。

昔よりも時代の流れが速いということは、その流れに乗ることが出来ればチャンスも多いということです。

ただ、その流れはとても速いので、昔に比べ多くの努力が必要となりそうですが・・・

何事も良いも悪いも一体なのだなと思います。

であれば、ポジティブにとらえて良い方向に思考をめぐらし、努力を惜しまず人生を楽しむべきだと考えます。

もうすぐ40歳、人生の折り返し地点に立つと思うと、時間の有限性をとても感じます。

私の人生においても40歳までに何ができるか、40歳から何ができるか、とても楽しみです。

 

自己中心(わがまま)な性格の原因について物申す

こんにちは、にあです。

自己中心(以下「自己中」という)について調べると、原因についてほとんどが過保護によると書かれていることについて、突っ込みを入れたくなります。

間違ってはいませんよ。確かに・・・

でも、それは絶対条件ではありません。

過保護にされていても、「自己中」にならない人もいれば、過保護でなくても「自己中」にはなります。それなのに、過保護が原因というのは、言葉が足りませんね。

過保護にも2パターンあり、父権的支配(パタナーリズム)と甘やかしがあります。

そして、甘やかしが、「自己中」の形成に関係しています。

ここでの「甘やかす」とは、子供の思い通りに事を進めることを言いますが、なぜ「甘やかす」と「自己中」になるのかを細かく説明いたします。

そもそも、「自己中」になる原因は、私が知っている限りでも、以下の理由があります。

アスペルガー症候群(現在は「自閉症スペクトラム障害」に統合されている)の特性

②知的障害

③依存による性格の歪み

 

①や②は、そもそもい他人との関係を客観視する能力が低いために起きるコミニケーション上の特徴であって、本当の「自己中」と違って、自分が正しいと思っている訳ではないので、「もし、あなたがそうされたらどう思う?」と質問を投げかければ、大半は気付きを与えることが出来ます。

本題は③です。

③は「甘やかし」を体験することで、親を「都合の良い道具」として操作するようになります。

操作方法としては、怒る・泣く 方法がメインとなります。

 

「自己中」は周囲の環境が、自分の思い通りになっている状態によって形成されます。

そのため、子どもが求める物や環境を子どもが要求して、その要求に対して親が提供してくれる状態にある場合に「自己中」が形成されます。

この要求が通りにくくなってくると、「怒る・泣く」などして要求をエスカレートしていきます。

「怒る・泣く」でも要求が通らなくなると、暴力に発展していきます。

この暴力というのは、引きこもりなどで起こる現象です。

では、過保護以外では「自己中」は発生しないのかというと、そんなことはありません。

むしろ逆で、今ではネグレクトによる「自己中」が急速に増えてきています。

では、ネグレクトによる「自己中」の形成がどうやってなされるかをお話します。

現代社会においては、メディアやゲームが発展してきて、一人で過ごす時間が増えてきています。

この一人で過ごす時間を親が求める行動を、私はネグレクトと言っています。

例えば、子どもが遊んでほしくて足元に来ているのに、スマホの調べ事がすぐにやめられないことはありませんか?

このまま、スマホを触りたい場合には、テレビを見せたりして、子どもの気をそらせますよね。

この場合、テレビもスマホも「都合の良い道具」となっているのです。

子どもはテレビに集中してしまい、それを途中で辞められることを嫌がります。そして、もっともっと見せてくれという欲が出ます。

スマホもいろいろな情報を見せてくれるので、どんどん情報を見たいという欲が出てきます。

この特定の行動を継続したいという欲求が「自己中」の原因です。

これは、人間の依存という本能によって起きる特性であり、誰でも持っている遺伝的特性です。

遺伝には、陰陽の反応があり、陽性があるから今もその遺伝が残っているのですが、依存の遺伝は、陰性に働くと、このように悪い形で依存してしまいます。

しかし依存の遺伝が陽性に働くとどうなるのかというところが、はっきりしていません。

私が思うに、陽性に働くと経営者などのリーダーシップを発揮できると予想しています。

現代社会においては、どうもこの依存する遺伝子は陰性に出やすいようなのですが、この陰性に傾けてしまうものが、テレビ・ゲーム・インターネットなどです。

これ以外にも、今後ますます便利になるであろう「IoT」なども、陰性を強める傾向が強くなると予想しています。

では、テレビ・ゲーム・インターネット・IoTが人間にとって悪影響なのかというと、そうではありません。

陰と陽の作用の分かれ目は、社会性(コミュニケーション)が非常に大きな役割を果たしています。

例えば、たばこやお酒は依存症の代表格ですが、これらもコミュニケーションツールとして使っている場合は物質依存はしていても、依存症になることはほとんどありません。(既に依存症になっている方が依存症同士で交わすお酒はこれに含まれません)

過度便利すぎると、人は便利さにおぼれてしまい、目的を失ってしまいます。

逆に、目的ありきの便利さは仕事の効率や人間関係の構築の上で大きな力となってくれます。

重要なのは、その便利なものは何のためにあるのかということです。

自分一人のために扱う便利は悪い依存を生み、人間関係を破綻させる「自己中」を助長させ、他者との繋がりのため(仕事やその他のコミュニティーとの繋がり)に使う便利さは、作業効率を上げてくれるため、社会的貢献を高めてくれます。

 

現代社会では、引きこもりやモンスター〇〇と呼ばれる人たち、すぐ切れる子どもなど「自己中」が原因と考えられる問題が拡散されています。(引きこもりは引きこもってから起こる問題で始めは別の問題が絡んでいます)

こういった、「自己中」の問題は、まだしばらく日本で拡散していくことは、ほぼ間違いありません。

読者の皆さんが、心とお金に余裕を持って生活をしたいと思っているなら、この「自己中」の問題の根源である、依存については考えていく必要があります。

過度に便利な状態(一人で過ごす状態)に陥っていないかを点検して、行動を改めていきましょう。また、すでに「自己中」に陥っていると思われる場合は

以前ご紹介した「12ステップ」へ取り組むと良いでしょう。

「12ステップ」は、このプログラム自体が認知行動療法の理論に当てはまっており、とても効果的です。

「12ステップ」を進めていくうえで悩みが出たときは「お問い合わせ」からご連絡をどうぞ。私にできることであればできる限り協力いたします。

 

アクティブな方におすすめの水筒・マイボトル

会い婦スタイルこんにちは、にあです。

最近は、カラフルでデザイン性の高い水筒が増えてきているので、カバンに詰めて、マイボトルを持とうと考えている方は多いのでは?

そこで、お勧めのボトルをいくつか紹介いたします。

 

まず最初にお勧めしたいのが、「タイガーの無重力」(MMZシリーズ)です。カラーバリエーションも豊富で、大きさも主流の物は200ml~600mlまであります。

また、構成が、フタ・二についてるパッキン・本体 の3つだけなので、漂白剤や特別な洗浄剤を使わなくても、細かなところまで洗い易くなっています。

パーツが少ない分、他の保温・保冷ボトルと比較して非常に軽く、保温性も登山専用の保温ボトルに近い能力を持っています。

用途としては、外出時・デスクワーク・登山など、いつでも使いやすいです。

ただし、キャップ式なので、両手で開閉する必要があるので、ドライブや読書の時にはお勧めできません。

また、飲み口に樹脂のアタッチメントが無いため、金属部分が直接唇に触れるため熱い飲み物の時は、要注意です。

カバンに入れるなら350mlサイズが最も使い易いサイズです。

 


 

 

次にご紹介したいのは、「クリーンカンティーンのクラッシックボトル」です。

クリーンカンティーンは、ステンレス製のボトルで、最も食品に適格なステンレスで作られており、「地球にも人にも優しい」ことが売りとなっております。

クリーンカンティーンには、保温・保冷効果のあるインスレートと、飲み口が広いワイドモデルがありますが、今回はあえてクラッシックボトルをお勧めします。

あえて、クラッシックボトルを進める理由については、ペットボトル感覚で飲めるため、スポーツ時などに特におすすめできるからです。また、キャップを変えることで、スポーツ用の飲み口や哺乳瓶に変えることができます。

クラッシックボトルには、以下のような欠点があります。

①落とすとすぐにへこむ

②冷たい飲み物を入れると水滴が付く

③保冷効果が無いのですぐにぬるくなってしまう

④飲み口が絞られているため、ボトルの内部の上が、洗い難い

欠点のうち①と②は、ボトルケースに入れることで解消できます。

③については、ボトルケースがあっても、保温・保冷効果があると言えるレベルではありません。

しかし、冬場であえて放熱させることでホッカイロの代わり(20分ほどでぬるくなってきますが・・・)にすることもでき、愛着が沸きます。

④については、普通の食器用スポンジと指を突っ込んで洗うしかありません。

また、ボトルの内側に特別な加工がされているわけではないので、茶渋などの影響で色が付きやすいため、定期的に漂白剤を使う必要があります。

クリーンカンティーンは、約350ml・約500ml・約750mlの物ですと、ドリンクホルダーに収まるサイズです。

用途が、スポーツ寄りなので、500mlあたりがカバンにも収まりやすくお勧めのサイズです。

 


 

 

次は、片手で開閉できる「タイガーのワンプッシュマグ」(MMJシリーズ)です。

サーモスではなくタイガーをお勧めするのは、パーツが少なく、単純なつくりをしているため洗い易く、若干ですが軽いことです。

コーヒーや紅茶などを片手にドライブ、読書を楽しむなら、このボトルがダントツお勧めです。

他にも登山や他のスポーツでも片手で取り扱いできるのでお勧めします。

欠点は、どうしても構造が複雑になるため、洗浄の手間が増えることですが、私はめんどくさがりなので、最も分解・結合しやすい物を選んだつもりです。

また、カラーバリエーションは、他のモデルと比べると少なく、地味な色が多いです。

あまり売れていないからですかね?

 


 

 

最後に「スタンレーのクラッシック真空ボトル」を紹介します。

スタンレーは、孫の代まで使えるとうたっているほど、丈夫なつくりをしていることが最大のポイントです。

また、保温効果も非常に高く登山用品店にはまず間違いなく置いてある商品です。

しかし、大きなメリットと引き換えに、デメリットも多くあります。

①価格が高い

②重い(上記の3つと比べると3~5倍ほど)

③ボトルの口が絞られていて洗いづらい

④地味な色しかない

⑤大きいのでビジネスカバンには収まらない(バックパックが必要)

スタンレーには、日常使い用のモデルももちろんありますが、そういったモデルは、上記で紹介した物に比べ保温性が低い物ばかりです。

どうせスタンレーを使うなら、この武骨な真空クラッシックが一番だと思います。

サイズもやはり大きめがお勧めなので、1ℓあたりが最適かと思います。

スタンレーでお湯を持ち歩いて、出先でコーヒーを入れたり、紅茶を入れたり、カップ麺を食べることもできます。(ボトルのキャップがコップになります)

普段からドリップコーヒーやティーバッグを持ち歩く方は少ないかと思いますが、そんな生活も面白そうではありませんか?(カップ麺は、出先で買った方がいいですよ)

 


 

 

「死」を考える ポジティブに迎えるためにはどうとらえるべきか

こんにちは、にあです。

皆さんは、「死」について、どれだけポジティブに考えられますか?

私が真剣に「死」を考えるきっかけは、強迫神経症精神疾患)に苦しむ利用者たちをたくさん見てきたことです。

強迫神経症を学ぶなかで、森田正馬精神科医)の本をいくつか読みました。

森田正馬強迫神経症の原因の一部を、「死」や老化を恐れすぎるためと言っています。

「死」は誰にでも訪れますが、多くの方はこれをネガティブにとらえています。

実際「死」とは、一つの生命体としては、ネガティブな要素でしかありません。

しかし、種族で考えると、「死」はネガティブなことばかりではありません。むしろ、「死」があるから得られる価値観ばかりです。そして、「死」というシステムは、万物の法則の一部であるともいえます。

「死」を考えるとき、個体としての「死」と種族としての「死」を考えるべきだと思います。

そこでまずは、個体としての「死」を考えさせてくれた書籍をご紹介します。エリザベス・キューブラ・ロスの「死ぬ瞬間」です。


 

「死ぬ瞬間」では、末期ガン患者など、余命宣告を受けた方たちの死を受け入れていく過程を5段階で説明していますが、私が注目したのはそこではなく、この5段階の最後の段階である「受容」に到達した方たちの取る行動です。「死」を受容した方たちは、共通して、自分の「死」の関心が薄れ、残される家族のことを考えるようになります。

これは、仏教でいうところの”解脱”と近いものだと思われます。

「死」があることで、次の世代のことを心配するきっかけとなり、次の世代のことを考えることで、自身の「死」から意識をそらしてくれます。

残した家族があるということは、この”解脱”に近い境地に至りやすいということです。

もちろん家族を持たない世間的に孤独と言われる方たちでも、他者との繋がりが強ければ、”解脱”に近い境地に至ることは可能です。

他者を思いやる心(慈愛)は「死」をも受け入れさせるということですかね。

 

次に、種族としての「死」の意味を考えさせてくれた書籍をご紹介します。

それは、スリランカ初期仏教長老アルボムッレ・スマナサーラの「苦の見方」です。


 

 

「苦の見方」では、ざっくり言うと「苦」(ドゥッカ)とは、変化するということです。人間は、寝ていても寝返りをします。幸せを感じるほどのおいしい食べ物でも、それを食べ続けることはできません。同じことを繰り返しているとどんなことでも苦痛が伴うというのが、生き物の法則だと説いています。

そして、万物は変化し続けていて、変化しないものはこの世の中に一つも無いということも言っています。

変化しないことは、それが完璧であるとも言っています。

人間は、この完璧にあこがれて、永遠の生命を夢見ますが、完璧な存在とは、変化しないものです。

であれば、もはや生きていないということなのです。

生きているということは、変化が速いということです。

 

ここからは「苦の見方」を離れた自論となります。

つまり、有機物は無機物に比べ変化が速く、変化の遅い無機物は有機物にとっては道具として使われる。変化の速い有機物である生き物からすると、無機物は異物であり、生き物ではないと感じてしまうが、無機物であっても、いずれ変化していきます。その変化があまりに遅いため、生きていると感じるほどの変化が無いだけなのです。

万物が変化していて、変化の速いものが生き物と考えている我々にとって、変化の速いものが価値あるものと捉えています。

そう捉えると「死」とは、変化の速い生物の変化速度を維持するためのシステムであり、変化を求める人間にとって、尊さを持たせてくれるシステムでもあります。

 

そろそろ話をまとめていきたいと思います。

結局のところ「死」とは、変化を飛躍的に高めるためにあるシステムです。

人間には大きな矛盾があり、永遠という「変化しない」ことへの憧れと、現実では「変化の速さ」を追い求めて経済活動に打ち込んでいます。

でも、万物の法則においては変化する道しか用意されていないのです。

変化する道しか用意されていないのであれば、「変化しない」という憧れなど捨てて、いつまでも変化を楽しめるようになるべきではと思います。

私たち人間にとって、人生とはとても限られた時間しかありません。

私たち「生き物」は早い変化を求めてできた存在なのだから、「死」を恐れるのではなく、変化を楽しむことに専念すれば良い。

人生の価値とは、次の世代にどのような変化をもたらせれたかということだと思います。

 

 

アンガーマネジメントよりも執着をマネジメントしろ

こんにちは、にあです。

他の方のブログでアンガーマネジメントの記事があったので、これに関連することで、私が調べて感じたことをお伝えします。

「怒る」とはどういうことなのかを考えたことがありますか?

私は精神障害者を支援してきたため、「怒り」については、少し学び、多く考えてきました。

そもそもなんで人間やそれ以外の動物も含め、「怒り」があるのかと言えば、「恨み」という感情を除けば、ほとんど「目の前の場面を急激に改善したい」状況です。急激に変えたいから「怒る」という感情が出るのです。

では、緩やかに「目の前の場面を改善したい」や「今後起きる場面を良い状態で迎えたい」場合はどうでしょう。この場合は、ネガティブな場合は「不安」として、今後の人生の課題として現れます。また、ポジティブな場合には「期待感」として現れます。

これらの「怒り」や「不安」を脳科学における物質で言うと、それぞれ、「アドレナリン」と「ノルアドレナリン」になります。

また、これらの物質は以下の流れで変化していきます。

ドーパミン」→「ノルアドレナリン」→「アドレナリン」

ドーパミンとは、欲求の物質と言われていて、人間の行動の根源となる物質です。

これらの3つの物質は、脳内の部位によって思考にも影響を与えているようです。

もう一度「怒り」について、掘り下げて考えてみたいと思います。

「怒り」というのは、何かが欲しいだとか、何かをされたくない時などに出てきます。では、この「怒り」をマネジメントするためにはどうしたら良いのか。

「怒り」の予兆としては、「特定の人にこういうことをされたくない」という不安や、「これが何が何でも手に入れたい」という強い欲求が出ることがほとんどです。

これらの予兆を感じとることが出来れば、事前に対処するプランが組み立てられます。

また、そのプランの中で重要なことが、アサーションスキルです。

「怒り」そのものは、現代社会において不具合のように言われていますが、感情そのものは、適切なものです。なので、その感情がおかしいということは無く、感情として正しいのです。このことを前提に考えると、自分の思う通りに、相手に効果的に伝える言葉で話すことが最も重要だと、私は考えています。

感情的に言葉を発しても、相手に伝わらなければ意味がありません。相手に伝わる言葉を選ぶというのは、結構スキルがいるもので、簡単にはいきません。たくさん経験を積むことで、相手に不快な思いをさせないどころか、良い気持ちにすることも可能です。

時々考えてしまいます。なぜ長い歴史の中で「怒り」という感情が有効な機能を発揮していたのに、現代においてはむしろ逆になってしまったのかを。

この答えは、行動経済学のマシュマロテストにありました。

人間には、「短期的欲求」と「長期的目標実現のための欲求」の二つの欲求があります。そして、この二つは相反することが多く、どちらかを選ばなければいけません。

もともと「怒り」とは短期的欲求に基づく感情であるため、「長期的目標実現のための欲求」には向かいません。でも、現代社会においては、経済活動そのものが、何か目標に基づいて集団で動いているため、「怒り」をマネジメントするのではなく、「不安」や「欲求」をマネジメントする必要が出てきたのだと思います。

仏教では、執着を捨てることを目指しますが、ストレスフリーに生きるためには、すごく重要なことだと思います。数年前から日本でも流行ってきているマインドフルネスも、基は瞑想から来ていて仏教の修行には、いくつもの瞑想方法があると言われています。マインドフルネスや瞑想を生活に取り入れて、自分の感情への気付きを深め、ビジネスやそれ以外の人間関係にも役立ててください。

気付ける人、考える人は必ず成功が訪れます。


 

私の人生を変えてくれた 12ステップというプログラム

こんにちは、にあです。

私は、2012年4月から障害福祉の事業を立ち上げて経営してきましたが、これがきっかけで、「12ステップ」というプログラムに出会うことが出来ました。

「12ステップ」とは、20世紀の奇跡と言われるプログラムで、20世紀中盤から、多くのアルコール依存症者を回復させることに成功した、世界初の依存症回復プログラムです。

そんな奇跡を起こしたプログラムが、なぜ、日本では有名でないのか?不思議に思いますよね。

私が思うに、あまりにも文章が宗教色が強いためです。以下に12ステップを記載します。

1、私たちはアルコールに大し無力であり、思いどおりに生きていけななっていたことを認めた。

2、自分を超えた大きな力が、私たちを健康な心に戻してくれると信じるようになった。

3、私たちの意志と生き方を、自分なりに理解した神の配慮にゆだねる決心をした。

4、恐れずに、徹底して、自分自身の棚卸しを行い、それを表に作った。

5、神に対し、自分に対し、そしてもう一人の人に対して、自分の過ちの本質をありのままに認めた。

6、こうした性格上の欠点全部を、神に取り除いてもらう準備がすべて整った。

7、私たちの短所を取り除いてくださいと、謙虚に神に求めた。

8、私たちが傷つけたすべての人の表を作り、その人たち全員に進んで埋め合わせをしようとする気持ちになった。

9、その人たちやほかの人たちを傷つけない限り、機会あるたびに、その人たちに直接埋め合わせをした。

10、自分自身の棚卸しを続け、間違ったときはただちにそれを認めた。

11、祈りと黙想を通して、自分なりに理解した神と意識的な触れ合いを深め、神の意志を知ることと、それを実践する力だけを求めた。

12、これらのステップを経た結果、私たちは霊的に目覚め、このメッセージをアルコホーリクに伝え、そして私たちすべてのことにこの原理を実行しようと努力した。

       (AAワールドサービス)

 

「12ステップ」に目を通してどう感じられましたか?

私は、「神」と「霊的」ということにまず違和感を覚えましたそして、自分なりの解釈をした結果「神」は、人間の集団における倫理だとか道徳心と捉え、「霊的」は、人間が集団生活をする上での本能でありその本能を満たすことと捉えました。このように自分なりの12ステップを完成させるのに3年ほどかかりましたが、初めから「12ステップ」が認知行動療法であり、依存症者でなくても健常者であっても人生を良くするためのプログラムであることは感じていました。

「12ステップ」をより深く理解するために紹介された本があります。

ジョー・マキュー著の 回復の「ステップ」です。

こちらの本は、非常に分かり易く各ステップを解説してくれているので、人間関係を改善したいと思っている方は読んでみる価値はあります。

この本のおかげで、精神福祉における大きな基盤だけでなく、私自身の基盤も築いて行けたと思っています。

 

「12ステップ」に興味を持っていただくために、プログラムがどのようにできたかを簡単に説明したいと思います。

「12ステップ」は、アメリカの投資家ビル・ウィルソンと医師ボブ・スミスという2人のアルコール依存症者が中心となり、オックスフォードグループ(様々な宗教等から自己啓発するための学習グループ)と協力し、霊的なプログラムのみを取り出し、形にしたものです。ちなみに霊的なプログラムに取り組むことを進めたのはカール・ユングと言われています。ビルは、わざわざヨーロッパまで行って、ユングへ相談したそうです。

このように、宗教色が強いため、一般的には、「神」は神様(キリスト教がベースだと思われます)のことを指し、「霊的」とは、神を感じる力であり、身近に感じることが霊的な高まりだと言われています。

私は、神を信じていないので、自分なりに落としどころを作りましたが、そういった能力が無い方たちにとっては、「神」を信じてプログラムを実行することが必要だと思います。

皆さんも、「12ステップ」を理解し、良い人生の糧にしていただけたら幸いです。

最後に、書籍には載っていない重要な行動指針をお伝えします。

「嫌なことから実行しなさい 」  ( 嫌な = 面倒くさい )

  

困った家族との接し方 依存症者の対処法CRAFT

こんにちは、にあです。

やっと、アマゾンアソシエイツの登録が完了したので、ご紹介したい本があります。

タイトルの通りCRAFTです。

私がCRAFTを知ったきっかけは、5年ほど前に参加した、アルコール・薬物依存関連学会で紹介されたことです。

当時は、行政福祉の担当者がこぞって勉強していたもので、大きな特徴があります。

それまでの依存症の支援では、当事者本人へのアプローチが当たり前でしたが、CRAFTでは、当事者性の高い家族を巻き込むことで、当事者本人を医療につなげるという間接的なアプローチとなっています。

そして、CRAFTにおいて、私が最も重要だと思うところは、依存症者によって、家庭が大きなダメージを受けていますが、そのダメージを軽減して、まず家族の幸福度を上げるためのアプローチがあることです。

一般的に、依存症者を回復に向かわせるためには、自己責任を負わせる必要があると言われています。そこで家族は、当事者の行動について、責任の肩代わりをすることなく、当事者は当事者の人生、家族は家族の人生だという境界線をしっかりと引く訓練を行います。そうすることによって、当事者は、自分が行った行動についての責任を負い、間違った行動をすると、社会的にも肉体的任も精神的にもダメージを受けて、行動を改めるきっかけを得ます。

CRAFTは依存症のためのアプローチではありますが、依存症の症状を改善するためだけではなく、依存症特有の自己中心的な性格、自己憐憫(れんびん)・自己欺瞞(ぎまん)を改善することで、社会的ストレスを軽減し、症状を改善するため、他の精神疾患でも、効果はあります。

以下に、簡単なCRAFTの概要を載せます。

①家族の動機付け強化と維持

②問題行動の機能分析

家庭内暴力の予防

④コミュニケーション・スキルの改善

⑤依存行為をしていないしらふの行動への性の強化

⑥マイナスの結果の使用

⑦家族が自身の生活を豊かにする

⑧本人を治療に誘導する

 

 

CRAFTは、非常に専門性の高い技術であるため、専門性を高めたい支援者の方には、以下の書籍をお勧めします。(英文を翻訳した文章なので、若干読み辛い表現があります。)

 

ご家族が読まれるなら、非常に簡易な書籍も用意されているので、こちらをどうぞ。

 

また、依存症ではありませんが、引きこもりの支援において、厚生労働省ガイドラインとなっているCRAFTもあります。引きこもりを支援される方は、共依存という家族関係を意識しながら、こちらの書籍をどうぞ。ただし、こちらは本格的なCRAFTを学ぶためのものではございません。